「会社を設立したのは、5人目が産まれてすぐのこと。ちょうどバブルがはじけた頃でとにかくお金がなくて。小さな子どもたちを抱えながら途方に暮れる日々だった。」当時を振り返りながらそう話すのは、大津市内にある滋賀県内屈指の警備会社、アイガード有限会社社長 伊山供那(いやま ともな)さんです。
若くして結婚し母となり、そこからわずか1年半の社会経験を経て会社を設立。紆余曲折を乗り越え必死に荒波を超えてきた伊山さんの半生は、まさに波乱万丈そのもの。その激動の半生と、そこから辿りついた同社の譲れない信念に、おでかけmoa編集部が迫りました!
滋賀の安全を担う、株式会社アイガード有限会社
現在約120名の職員を抱える、滋賀県屈指の優良警備会社、アイガード有限会社。
警備員の業務は1号・2号・3号・4号の業務に分類されており、それぞれによって教育内容や仕事の内容が大きく異なります。
同社で主に取り扱っている業務は、2号業務。
道端での交通整理やイベント会場などでの誘導業務を主としており、伊山さん自身も防犯のスペシャリスト・S級 防犯診断士の資格を活かして性犯罪を防ぐための講義を行うなど、社内外で警備や防犯に関連した様々な業務・活動を通して、滋賀の安全に努めています。
同社の目標は「人が充実した会社を作ること」だと瞳を輝かせながら話す、伊山さん。
しかし今から25年前、創業当時のエピソードはそんな今のお姿からは想像もつかないものでした。
生活苦を抜け出すために就いた、警備会社の事務員
「10代で結婚・出産して5人目の子を妊娠中にバブルがはじけて借金まみれだった。」伊山さんの口から飛び出した起業当時のエピソードに、思わず絶句してしまう編集部。
ご主人の借金にローン返済、さらには5人の小さな子どもの育児。若い夫婦が到底乗り越えられるとは思えない、巨大な障壁。
伊山さんが少しでも家計を支えるためにと選んだ仕事は、小さな警備会社の事務員でした。
「小さな会社だったので、事務仕事以外にも営業や警備の実務経験、経理などいろいろな仕事をさせてもらえました。」
それまでパートの仕事などには就いたことがあったものの、本格的な社会経験はこれが初めて。この職場での経験が、伊山さんの経験値を大きく上げてくれました。
けれども一方で目の当たりにしたのは、警備員への待遇の悪さ。
「当時の会社の警備員への指導は、人を人と思っていないようなものだった。」といいます。
警備員さんが人間らしく生活できるようにしたい!
このままではいけない、と伊山さんは会社にあった指導教育責任者の本を参考に、警備員を指導・待遇を改善することに。
すると、警備員の仕事の質が上がったことを実感。
「しっかりと指導してあげれば、私でも警備員さんの仕事の質を上げることができる。私が舵を取れば、警備員さんがもっと人間らしく生活できるようにできるかもしれない。」
伊山さんは一念発起して起業を決意。
それが、アイガード有限会社の始まりでした。
生きるか死ぬか、起業を決断
けれども当時伊山さんはまだ34歳と若く、小さなお子さん5人と多額の借金を抱える身。
そんな中でさらに借金を増やすことになる起業は、当然周囲から大きく反対されることに。
それでも、伊山さんの決意は揺るぎません。
「一年半働いているなかでも生活は苦しくて、心中を考えることさえあった。生きるか死ぬか、これしかない!そう思ったんです。」
順風満帆とはいえない日々
そうして飛び込んだ警備の世界でしたが、警備の仕事は収入のアップダウンが激しく、決して順風満帆とはいえない日々だったといいます。
特に大変だったのが、今から10年以上前、台風による未曾有の大被害に見舞われたときのこと。
「JRや京阪も止まって、逢坂山も潰れて滋賀からも出られない...そんな状況で...。
ちょうどその頃道路維持工事の警備の仕事をたくさんとっていたんですが、そのエリアがまさに大災害の区域に当てはまってしまったものだから、本当に大変でしたね。」
ようやく台風の被害が収まり、ほっと一息も束の間。
次にやってきたのは、通常工事警備の大量発注。
「こっちは大きな災害の警備が終わったところで警備員さんにも休ませてあげたいのに、仕事の電話がバンバンかかってきてしまって。
警備を要請したい場所の地図もじゃんじゃんFAXで送られてきたり...。断りの電話を入れたくても全く繋がらないし、当日警備に行けなかったことで損害賠償を請求されたところもありましたね。」
想定以上の仕事の大量発注と問題の多発に頭を抱える日々...、会社を辞めたいと強く思った時期だったといいます。
記憶に残る、地獄のようなお正月
「あのときは本当に大変でした。
あとはお給料が払えなくなったときが一回だけあって。あの時も本当に大変でしたね。ちょうど給料日が1月5日だったんですが、そんなときに金策にも走れないでしょ。
土下座の勢いでなけなしのお金を差し出して...残りはこの日まで待ってくれないかと何とかお願いして。あのときは正月じゃなかった、地獄のような日々でしたね。」
当時を思い出し、声を震わせる伊山さん。
けれどもその地獄のような出来事は、同時に伊山さんにとって、今までで一番幸せを実感できた出来事でもありました。
辛かったけど、大きな幸せも感じられた瞬間!
「当時の警備員さんにとっての私って、まだまだ若いから俺らが守ってあげないと!て思わせるような存在だったんですよね。自分たちも支払いに追われるカツカツの生活してるのに、いいよいいよ会社が大変なんやったら待つよ、て給料の支払いをギリギリまで待ってくれて。あんなに幸せを感じたことは、なかったかもしれない。」
当時はまだ子育てにも手がかかり、仕事と子育てを必死でこなす日々。それでも、警備員さんの温かな言葉に触れて、
「この人たちは自分の大切な家族なんだ!この人たち一人ひとりの人生を最後まで大切にしてあげられる、そんな会社にしたい!そう決意できた瞬間でした。」
そう語る伊山さんの笑顔が、とても美しく印象的でした。
幼少期の伊山さん
そんな伊山さんは、幼少期はどのような教育をされていたのでしょうか。
「うちの両親はとにかく放任主義でした。下に2人の兄弟がいるんですが、親に聞いてみると私はその2人とは違って一人でもやっていけそうなタイプに思えたみたいで。そんなことはないと思うんですけどね。」と苦笑いを浮かべる伊山さん。
複雑な家庭問題も抱えていたという伊山さんは、幼い頃から「私が家族を守らないといけない!」という想いを強く持って育ったのだそう。
そうした強い想いが、起業を志し会社を存続させる強い根っこを育てさせていってくれたのかもしれませんね。
会社創業に影響を与えてくれたのは、マーフィーの法則
実は伊山さんの創業に大きな影響を与えてくれた本があるのだといいます。
「元々この会社ができたのは、マーフィーの法則のお陰なんです。」
日本では1970年代、オイルショックの頃からじわじわと広がり始め、1990年代に大きなブームを起こした、マーフィーの法則。
「自分の想像したことが現実になる」というシンプルなこの法則は、当時の日本国民の心はもちろんのこと、伊山さんの心も大きく揺さぶりました。
一歩踏み出す勇気を与えてくれた、マーフィーの法則
「マーフィーの法則について書かれた本に出会ったのは、ちょうど起業を考え出した頃なんですが、実は新婚当初、当時住んでいる家の近くにいつも若い警備員の子が立っていたんです。おそらく学生の子だったんじゃないかな?ブルーの制服を着ていつもニコニコ挨拶してくれる子たちで。」
伊山さんは彼らの姿を見ながら、彼らが会社に帰り迎えられる姿を自然と想像していたのだといいます。
「この子たちがただいまー、て笑顔で迎えられる会社、いいよな~て、その頃眠る前にもいつも想像していたんです。
それがいつの間にか警備の会社やりたい!ていう夢に繋がったんやな、て本を読んで自然と腑に落ちて。
じゃあ、今やるしかないんじゃない?て、あの時自分を後押ししてくれたんです!
そこからはもちろん辛いこともたくさんあったけど、働いて子育てして、て必死だったけど...思い返せば、いつも楽しかったですね。」
この法則を知るまでは、一人になると生活の苦しさに涙が溢れていたという伊山さん。
マーフィーの法則は、そこから一歩踏み出す勇気を、伊山さんに与えてくれたのですね。
今でもいろいろな本や学びを知ることで、会社経営に役立てているのだそうですよ。
会社存続には、伊山さんの柔軟な発想力も
「会社の構造って三角形のピラミッドを連想させますが、私はこれは必要ないんじゃないかなと思っていて。
これをぶち壊そうと、今若手からアドバイザーを引っ張ってきて、会社の中でやりたいことを提案してもらっているんです。
ピラミッドの逆を目指してるっていうのかな。
会社を俺らが引っ張ってくんや!ていう自覚を若い子たちに持ってもらって引っ張って行ってもらう。そうすることで、自立した人材を作っていける。」
もちろん費用の関係でできないこともあるとはいいますが、逆ピラミッド体系をとることで若手に自立心が芽生え、人としての質はもちろん警備の仕事の質も上がってきたのだといいます。
絶対無理と思われていた働き方改革にも積極的
「警備って基本的には暑い寒い、大変な仕事。
だから、ここに帰ってきたときぐらいは、わーっと言いたいこと言ったり気軽に冗談言ったり、楽しいイベントしたり。
そうやって和気あいあいとしながらみんなで高めあえる会社にしていきたいと思っているんです。
自主性を重んじることで、難しい警備の資格にチャレンジする子も増えましたね。」
警備会社が万年抱えているといわれる課題・人手不足は同社でもやはり大きな課題。
これに関しても、若手が自らティッシュ配りやポスターなど率先して動いてくれ、とても助かっているのだといいます。
なかでも最近力を入れているのは、SNS活用。
伊山さんへのドッキリ動画をアップしたYouTubeは完成度も高く、「こんな会社で働いたら楽しそう!」と求人募集にも効果的なのだとか。
さらには、警備会社では絶対無理と白旗を振る会社も多い働き方改革にも、同社は積極的。
「昔は警備の仕事って本当に給料も低くて休みもなかなか取れなくて、大変だった。
だけど給料も昔よりは改善され、有休も取れるようになってきた。
以前はいなかったミドル層が確保できるようになってきたのも、この成果でしょうね。」
「警備員ファースト」が同社のカギ
「従来は、自分は我慢して奉仕するお客様ファーストだった。
だけど、自分が満たされていないと、人を満たせない。そのことに気付き警備員ファーストに転換させたことが、結果的に警備員の仕事の質を上げて、お客様の満足度も上げてくれている。」
と話す伊山さん。
同社のたゆまぬ努力は、労務士の方からも認められているのだそう。
ここまでの実現は決して簡単な道のりではなかったといいますが、「この人たちは家族。私が守っていかないと!」あの辛く幸せだった出来事が、伊山さんと同社をここまで引っ張ってきてくれたのだといいます。
今後の展望
「今後考えているのは、うちで働くシニア層が楽しめる場を作ること。うちで働くシニア層には一人で暮らしをされている方が多くて、地域の自治会にも入っていない方が多い。
そうした方のために、ここでグラウンドゴルフの会など自分の人生を楽しめる場を作ってあげたいなと考えているんです。」と楽しそうに話す伊山さん。
また、来るAI時代のカギも、やはり人にあると、伊山さんは語ります。
「いずれAI時代がやってくる。だけどやっぱり人にしかできない警備、AIにはできない警備がある。
それができるようにするためには、しっかりと人の質を上げていく努力をすることが大事!」
新婚当時、何度も想像した警備員が安心して帰っていける会社が夢から現実となった今、伊山さんは新たな時代の波に備えながら、さらなる理想の会社を実現すべく、着実に歩みを重ねられています。
私たちの住む滋賀の安全が、日々こうした会社の警備員さんの手によって守られていると思うと、とても心強いですね!
高橋 有基
連載 | 滋賀県の女性経営者にインタビュー |
---|