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滋賀県の女性経営者にインタビュー

2019.11.15

WRITTEN BY

りーしゅんライター

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滋賀県の女性経営者インタビュー 05|河村朱美さん(株式会社古川与助商店 )

「マイクロスリッター」という技術をご存知でしょうか?簡単にいえば、「ロール状の素材を一定の幅に均等に細く切り、芯に巻き取る。」というもの。この技術を活かし、様々な素材に新たな価値を見出している会社が、大津市桐生にあります。

古くから、和紙の生産地として知られてきたこの場所で、昭和10年、古川与助さんによって創業された株式会社 古川与助商店は、京都の伝統ある西陣織などの和装産業に使われる金銀糸を長年作ってこられました。

そんな同社に襲った最大ともいえるピンチに、ユニークかつ柔軟な発想力で再生の道を見出したのは、3代目社長 河村朱美さん。

「学生の頃はスポ根でバレーボール一筋だった。バレーボール選手になるのが夢で、社長になるなんて思ってもみなかった。」そう話す河村さんが、ビジネスや生活の中で大切にされているものは「発想の転換」だといいます。

芯の強さを感じさせる大きな澄んだ瞳と朗らかな人柄が印象的な河村さんに、会社の窮地を救った「発想の転換」と、またそこから見出された面白み溢れる同社の魅力について、moa編集部がお話を伺ってきました!

会社へ訪れると、まず目に飛び込んできたのは、美しいジャケット!

株式会社 古川与助商店のあるのは、江戸時代から和紙の産地として有名な大津市桐生。創業者の古川与助さんは、河村さんの母方の祖父にあたります。

取材当日、同社の扉を開けると、目に飛び込んできたのは艶やかな色に染められた同社特製の美しいジャケット。なんとこちらのジャケットは、和紙からできているのです!

布仕様のジャケットと幾分も劣らない、その精巧な完成度に驚く編集部に「なんなら羽織ってみて下さいね。とても軽くて肩も凝らないんですよ。」気さくな笑顔を傾けて下さったのは、この驚くべき和紙ジャケットの産みの親である社長の河村朱美さんです。

同社の特徴的技術・マイクロスリッター加工

昭和10年に創業し、主に京都の西陣織などの和装産業に使われる金銀糸を作る仕事に長年従事されてきた同社。その後和装産業が停滞したことで、業務の中心となったのが、「あらゆる素材を細く切る技術・マイクロスリッター加工」でした。

実際に和紙がカットされたものを見せて頂くと、そのあまりの細さと均等さに驚いた編集部。「国内でもこの技術を持っている会社は少なく、さらにここまで細く裁断できるのは数社しかない。」のだそう。

同社では、和紙を1,5㎜~2㎜の幅にカットすることが可能。他にも、不織布・フィルム等の素材をカットされています。【写真は2㎜に裁断された和紙】

3代目社長に就任された河村さん

当時はこの技術で撚られた糸を使用し、主に水引材料やアパレル原料糸を生産、大きな利益を得ていたという同社。その後、平成15年、3代目社長に就任したのが河村さんです。当時は女性社長の存在は珍しく、中小企業の会議に行ってもいつも女性は河村さんただ1人という風景が当たり前だったといいます。

けれど、「まだ小さかった頃に母を亡くし、父にとにかく男の人を育てるように厳しく育てられた。学生の頃もバレーボールにひたすら打ち込み、とにかく負けず嫌いだった。」という河村さんは、こうした状況にも決して屈していなかったといいます。

そんな河村さんの心意気を試すかのように、就任早々、襲い掛かったのが工場の移設問題。

「移設しなければ会社も存続できないほどの大ピンチだったのですが、新しい土地の認可がなかなかおりなくて、本当に大変でした。」その後、偶然にも協力して下さる方との御縁に恵まれ、無事移設が完了。同社は難を逃れたといいますが、約1年半ほどの期間を要したといいます。

同社に起こった窮地

その後は順風満帆に経営を存続していた同社でしたが、撚糸機械事業に中国が本格的に乗り出したことで、再び同社の地盤が揺らぎ始めます。

なんと会社の利益の大きな役割を果たしていた不織布のカットが、急激に減ってしまったのです。

実は、工場を移転する前から、撚糸事業に乗り出していた中国。それから4年後、同社と同じ機械が中国に存在していることが知られ始め、その安さが知れ渡るように。

「それまで月2トンという大量の不織布を切っていたのが、大量生産の中国工場の値段の安さに、取引先が皆そちらに仕事を依頼するようになったんです。」
「この状況を打開するには、どうすればいいのか。何か新たな事業を展開しなくては。」悩みに明け暮れていた河村さんの視界に、ふと飛び込んできたのは和紙でした。

「この和紙を昭和の撚糸機械に入れたら、どうなるだろう。その時、そんな発想がふと頭に浮かんだんです。」早速機械に和紙を入れてみると、和紙は綺麗に撚れていき、出来上がったのは真っ白な和紙の糸。

これを見た河村さんは、「この紙の糸から、洋服が作れるかもしれない。」とまずは手織りで帯を作ってみることに。「その生地を会社に置いておいたら、『これは売り物ですか?』と言われて。これはいけるかもしれない、と思いましたね。」

実は社長に就任される以前、20代の頃はアパレル業界に勤務していた河村さん。この発想力が、同社に新たな可能性を見出すことになるのです!

できあがった素材と和紙を持って挑んだ先は、ロンドン

できあがった和紙糸と和紙生地・和紙を持ち、関西の経済産業省の助成金を得て河村さんが向かった先は、なんとロンドンの展示会 テントロンドン。

「メイドインジャパンプロジェクトとしてそのブースへ出展したのですが、この紙の糸を見るなり、現地の方々が『アメージング』と大絶賛されて。まだできあがった衣服も無いのに。なんと出展していた6社のうち、一番多くの方に来場してもらえたんです!」それまで下請けとしてお客様の反応を目にする機会が無かった河村さんにとって、この経験は大きな財産に。

帰国後、河村さんは早速和紙の糸を使った衣服の製造へと乗り出します。「最初に作ったのはブラウスでした。そうしたらそのブラウスを見て気に入って下さった商工会の会長さんが、自分のジャケットを是非和紙で作ってほしい、と依頼して下さって。さらにそのジャケットの噂を聞いた方々から『私も作ってほしい』との声が相次いだんです。」

こうして口コミによって、和紙ジャケットがどんどん広まっていき、同社の経営は再び軌道に乗り、窮地を逃れました。

大切なのは、「発想の転換」

ビジネスにおいて大切なのは「発想の転換」と話す河村さん。まさにこの「発想の転換」が、会社を救ったのです!あの三日月大造知事や嘉田由紀子参議院議員といった著名人も、同社のジャケットを愛用されているのだそう。

和紙ジャケットの魅力を河村さんに伺ってみると、「魅力は何といっても軽さです。さらに通気性も良く、着心地もいいんです。また発色もすごく綺麗。ジャケットは全てオーダーメイドで制作しているので、お客様の好きな色に染めることができるんですよ。」

さらには環境面で嬉しい面も。針葉樹やマニラ麻を原料とした和紙によって作られたジャケットは、森林や麻の循環にも繋がり、燃やしても害になることがありません。最近では、「買うエコ大賞」優秀賞にも輝きました。

既存の発想を打ち砕くことで産まれたビジネスチャンスの数々

「とにかく既存の発想を打ち砕いていくこと。そこから新たなビジネスチャンスが産まれていくんです。

お客様から依頼され、一見切れそうにない素材でも、簡単に無理だと決めつけずに、まずはやってみること。昔と違って、技術革新によって気候に左右されずにいつでも素材に均等なカットが施せるようになった今、以前より様々な分野に挑戦しやすくなったんです。

今後は和紙の糸をもっと世界へ輸出して、世界中の様々な糸と和紙を縦糸と横糸とでコラボレーションさせてもらいたいですね。和紙をミックスさせることで、見た目の印象もぐっと素敵に変わり、価値も広がっていくんですよ。」同社の製品を手に、キラキラとした表情で話す河村さん。

ジャケットのみにとどまらず、現在でも、様々な素材や価値の創造に挑戦し続けているという河村さん。

他にも同社で制作されたものを見せて頂くと、縦糸と横糸とで和紙と様々な素材とをコラボレーションさせた生地、車の素材からできた高級アパレルブランドの生地やフィルムからできたゴルフ場の日除けシート、さらには家の壁紙といった産業資材まで…

その想像を超える発想の豊かさにはとても驚かされると同時に、同社の面白みをたっぷりと味わうことができました。

挫折の時期も

そんなはつらつとした御姿が印象的な河村さんですが、実は20代前半には、人生における大きな挫折を味わったといいます。

それは、社長に就任するより少し前。前職で店長として仕事に打ち込みすぎて体調を壊し、ついには引きこもりになってしまった河村さん。「それまでは怖いものなしで突き進んでいたんですが、今思うと、仕事ばかりで遊びが無かったんでしょうね。プチうつ状態になり、幽体離脱も経験したんです。けれどもそこで得た経験や学びは、今の自分の大きな財産になっていますね。」

その後も東南アジア諸国へ旅行へ行き、スピリチュアルな出来事も経験。「魂の生まれ変わり」について書かれた「生きがいの創造」(著者:飯田史彦)を読むなど、「何のために人は産まれてくるんだろう、と深く考えてとことん自分自身とも向き合いましたね。そしてようやく落ち着いた頃に、社長に就任する運びとなって。まさに、なるべくして落ち着いたという感じでしたね。」

「自分の強さだけでなく弱い部分もあるということを、当時の経験で思い知ることができた。」という河村さんは、自らの経験から、引きこもりの方の就労支援にも携わっておられます。

「織物をしていると思うんですが、人間関係って、縦糸と横糸の関係に似ているんですよ。全くタイプが違う素材でも、共に織り込めばいい味が出る。これって、人間関係でもいえることですよね。」これも本当の弱さを知っている河村さんだからこそできる、素敵な「発想の転換」ですね。

moa読者へのメッセージ

最後に河村さんに、moa読者へのメッセージを頂きました!

「とにかく何かを手作りするということを、もっとたくさんの方にやってみてほしいですね。

昔の人って洋裁をよくしていたと思うんですが、手作りって想像する脳を作り、自分の可能性の幅を広げていってくれるものなんですよ。身の回りにあるもので何かを見いだせれば、日常の生活はもっと楽しく豊かになると思うんです。

そうすれば、そんなにお金が無くても人生楽しく生きられるはず。そしてその手作りの楽しさを、皆さんの子どもにも受け継いでいってほしいですね。」

【写真は、河村さんが先日親子ワークショップで主催した「プチ織り」。様々な素材を組み合わせながら、小さな子どもでも簡単に織物を織ることができます。】

仕事においても普段の生活においても、ほんの少し発想を変えるだけで人生が楽しく豊かになる。そんな生き方を私たちも見習っていきたいですね!

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りーしゅんライター

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