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滋賀県の女性経営者にインタビュー

2019.07.01

WRITTEN BY

りーしゅんライター

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滋賀県の女性経営者インタビュー 02|佐藤祐子さん(びわ湖花街道)

日頃の仕事や家事からひとたび解放され、束の間の夢を見させてくれる旅館。はるか昔から人々に癒しを提供し、幾多の時代の波によって苦境をしいられながらもその暖簾を守り抜いてきた旅館が、現在国内には約38,000軒あると言われています。(2017年 厚生労働省調べ)

ここ滋賀県にも、素敵な旅館が数多く存在しており、なかでも大津市にあるおごと温泉地域は近年、旅館経営者の努力により着実に宿泊者数を伸ばしている地域として好調をみせています。

おごと温泉の旅館として外せないのが、従業員のやさしさあふれる笑顔、そしてあたたかなおもてなしの心が魅力の『びわ湖花街道』。

昭和14年『国華荘』として創業、2001年には今の屋号に改められ現在は4代目社長 佐藤祐子さんによって運営されている同旅館もまた、時代の変化や様々な困難に翻弄されながらも、細やかな「目くばり・気くばり・心くばり」によって「また訪れたくなる旅館」として多くの旅人の心を掴んでいます。

今年9月末にはさらなる贅を深めたリニューアルオープンも展開されるとのこと。

苦境を強いられている宿泊業界において、オリジナルのブランドを定着させ、昭和・平成を経て令和時代も好調なスタートをみせる「びわ湖花街道」。

大きな船の舵を担う女将かつ女性社長 佐藤祐子さんにmoa編集部が取材してきました!

華やかな美しさから醸し出される「心くばり」が素敵な佐藤祐子さん

取材当日同旅館に伺うと、「まずは少し涼んでから。」と、ロビー席で冷たいお茶と経営にも役立てているという動物占いなどの楽しいお話で、編集部をもてなして下さった佐藤さん。

「夜中も旅館のことが気になり、1時間おきに目が覚める」ほど寝ても覚めても旅館のことばかり考えているという佐藤さんですが、そんな苦労を少しも感じさせない穏やかさと目の前の相手をしっかりと意識した「心くばり」が感じられ、経営者としてはもちろん一人の人間としての魅力が映し出されていました。

湖国の自然に囲まれた旅館風景の中、美しい花のごとくその場にぱっと光を灯す佐藤さん。

そこにはなるべくしてこの旅館の社長になった、そんな風格が滲み出ていました。「設備はもちろん従業員の内から滲み出るような丁寧な対応に癒される。」といった心からのおもてなしに多く口コミが寄せられている理由も頷けます。

昭和14年、佐藤さんの曾祖母によって創立された「国華荘」が「びわ湖花街道」の始まり

そんな「びわ湖花街道」の始まりは昭和14年。

元々は京都で養鶏所を営んでいたという佐藤さんご一族。経営の才覚に優れていたという曾祖母がお稲荷さんのお告げによりおごと温泉のあるこの地に同旅館の旧屋号でもある「国華荘」を創立。

1200年前に比叡山延暦寺の開祖 最澄によって開湯されたおごと温泉は、観光地も多く隣接し、京都方面からアクセスも良く景色も良好、まさに旅館にうってつけの土地。同旅館以外にも様々な旅館が立ち並び活気を見せていました。

小さな頃から「びわ湖花街道」を継ぐことを意識していた佐藤さん

創業時は曾祖母が女将となり旅館を切り盛りし、ここ大津の地にみるみる根付いていった同旅館。

その暖簾はやがて3代目・佐藤さんのお父様へと引き継がれ、佐藤さんも小さいながら、華々しい旅館の活躍やそこで働く家族の姿を見て、「ゆくゆくは自分がこの旅館を継ぐことになるのだな」と自らの使命を達観していたといいます。

当時住んでいた京都でサービス業のアルバイトなどを経験しながら学生時代を過ごし、卒業後はすぐに旅館に入らず一般企業で社長秘書を務めました。その後旅館に入り、修行のためにと皿洗いや調理場など様々な業務を経験。

そんな佐藤さんの弛まぬ努力を重ねる姿にマスコミが注目し、テレビで将来の若女将として佐藤さんの姿が特集されると、瞬く間に同旅館は話題に。

愛娘の姿に、それまであまり旅館の仕事に携わっていなかった母も感化され、「旅館のために自分も頑張ってみよう」と積極的に旅館の仕事を手伝うように。『目くばり・気くばり・心くばり』を軸に、当時社長であった父と共に、おもてなしの心を確立させました。

大きな改革が成されたおごと温泉地域

時を同じくして、おごと温泉地域においても、大きな改革が成されました。

1970年代以降、京都府での法令強化で風俗店舗が雄琴の地に流れ着くように増加。これに伴い、おごと温泉は以前の賑わいが半減し、旅館の数も減少を辿っていきました。

そんな中、なんとかこの危機から脱却すべく、若手旅館経営者を育成する雄琴温泉青年経営塾が1998年に開塾されます。悪化したイメージを払拭し、女性や家族に親しんでもらう温泉地・観光地としての地位を新たに獲得するため、様々な改革が推し進められました。

2001年には同旅館の屋号を改称。華やかな気品が漂いながらもどこかかしこまった印象だった『国華荘』から、大津の地に欠かせないびわ湖に親しみと愛を込めた『びわ湖花街道』へと改められました。

同時に主に男性・団体客の利用を中心とした宿から、女性や家族・個人宿泊をメインターゲットにした宿へと販売戦略の転換を図りました。

また2008年には、代表的な改革のひとつが行われます。最寄りのJR線の駅の名称を「雄琴駅」から「おごと温泉駅」へと改称したこの施策は、メディアからも注目を浴び、徐々に旧来のイメージを脱却。そして、「由緒あるおごと温泉」という名声を取り戻していきました。

まさに順風満帆。「花街道」が軌道に乗ってどこまでも発展していくかに思えた矢先、佐藤さんにとって、旅館にとって、悲しい出来事が起こります。

それは、佐藤さんのお母様の死でした。


40歳のとき、社長の座に

「幼い頃から長女の私に厳しく口うるさくて、口喧嘩もよくしていた。でも大切なことをたくさん教えてくれた。」そんな母の死後、佐藤さんは今後のことを当時社長であった父と話し合う場を持ち、そこで父から社長を継承することを決意しました。

悲しみの余韻に浸る間もなく、いよいよ本格的に大きな舵を取ることになった佐藤さん。責任感があり、自らの幸福を犠牲にしてまでも旅館やそこで働く人たちを幸せにしたい、とにかく旅館を良くしたい、と意気込み改革に乗り出すニューリーダー。

けれども旅館の従業員の反応は最初あまりよくなく、「私は何もかもを犠牲にして旅館を変えたいと思っているのに・・。複雑な感情が交差した。」という。

「あの頃は、元々父やその先代が築いてきた旅館の環境を変えたい、ととにかく息巻いていた。だけど、今思うとそこにあった環境も、そこにいた人たちも何も変える必要はなかった・・。私がニューリーダーとしてすべきだったことは、それまでの歴史やその瞬間を大切にしながら、みんなが望む形に変化させていくこと。それもみんなで考えながら動かしていくことがとても大切。今ならそれが分かるのに、当時は全く見えていなかった。」

悔しげな表情を浮かべながら当時の自分を悔いる佐藤さん。

猪突猛進するも従業員とはうまくいかず大怪我にも見舞われどん底を味わう

動物占いでは黒ヒョウタイプだったという佐藤さん。その性格的特徴は、強いリーダーシップの持ち主で全体を把握する能力にも長けており、まさしく天性のリーダーシップ資質を持つ経営の天才。

しかし、暖簾を守り抜くためと厳しく接し続け、中には辞めていってしまう従業員も。その要因に気付く間もなく猛進していた佐藤さんへ、次なる苦難が降りかかります。それは思わぬ転倒による大怪我。その怪我によって食事はおろか水を飲むことも話すことも困難な状態が3か月近く続き、その後もしばらく復帰できず、従業員に旅館を任せっきりになってしまったのだそう。

佐藤さんがいない間、残された旅館の従業員たちは佐藤さんに心配をかけぬよう「びわ湖花街道」ブランドを軸に旅館を支えていました。

けれど「自分がいなくては何も回らない旅館が、自分なしで本当に大丈夫なのだろうか?」自宅で大きな不安を抱き悲観していた佐藤さんへ聞こえてきた宿泊客の声は、意外にも高評価の声ばかり。

その後実際に復帰し辺りを見回してみると、本当に従業員が皆いきいきと楽しそうに仕事をしていて、自分がいなくとも誰も困っている様子は無く、その姿に心底ショックを受けたという佐藤さん。

けれども、それは今まで忙しさの中でちゃんと見えていなかった「びわ湖花街道の誇るべきブランド」が見えた瞬間でもあったのです。

自分の過ちに気付くことで得たもの

今まで「必死になって守らなくては」と思ってきた旅館でしたが、働いている従業員もまた、佐藤さんと同じ想いで旅館に携わってくれていたのです。

「客観的に外側から見ることで、ようやく本当のこの旅館の良さに気付けました。そうして、旅館を皆がしっかり守ってくれていると分かった今、それならば自分は何をすべきなのか。突き詰めて考えた先に辿りついたのは、おごと温泉がもっと人々に愛されるよう、地域との結びつきを深めること。大津市や滋賀県の課題解決に努め、この景色や文化や風土を守っていくための努力をしていくこと。また、おごと温泉・大津・滋賀という無くてははならない地域財産を多くの人々に認知してもらえる活動をしていこうと考え、今に至っています。」

そう語る佐藤さんの瞳は、琵琶湖のようにきらきらと輝いていました。

佐藤さんは旅館業とは異なるジャンルのお仕事にも積極的に携わり、様々な分野から地域の発展の一助を担われています。

その目は滋賀県内・国内にとどまらず海外へも

さらにその目は県内・国内にとどまらず、世界の貧困や働き方、環境保全にも向けられていて「SDGs(2015年国連で開催されたサミットの中で採択された持続可能な17の開発目標。2016~2030年の15年間で達成するために掲げられた目標)」に感化され、日々の生活の中で自分でも気軽に行える寄付なども実践しているのだそう。

これからの社会での会社として、一個人の在り方について、佐藤さんはこう語ります。「これからは富も幸せもシェアする時代。私はそれをこの場所から発信し、どんどん広げていってこれから関わる人たちとシェアしていける活動ができたらいいと考えています。そういう活動をもっと一人一人が心掛けて実践していけば、世界って簡単に変わるものだと思う。」

潔く言い放つその姿は、まさに「かっこいい」の一言に尽きました!

同時に会社という大きな主体でなくとも、例えば日常のちょっとした配慮で環境保全に取り組むなど、小さな窓口は私たちが思っている以上に、日常に無数に広がっていることを改めて教えて頂きました。

宿泊客の口コミ評価にも表れている「びわ湖花街道」の「心くばり」

「教え育む教育でなく、個々の様々なアイデンティティを尊重し、いろいろな可能性に気付きみんなで一緒に作り上げていく」風土を浸透させ、その場の雰囲気はもちろんホームページを拝見していても様々な従業員が様々な視点から宿泊される方の状況に「目くばり・気くばり・心くばり」を実践している姿が想像できる「びわ湖花街道」。

「従業員の接客態度に心をほだされ、以前と同じ客室係についてほしい、と要求されるリピーターの方も多い」のだそう。

かつては口うるさいと感じていた母の最も大切にしていた「心くばり」と感謝の大切さを波乱万丈の人生の中で痛感・体得した佐藤さん。

そうして自社ブランドを確立・宿泊客のニーズを見事につかむことに成功した「びわ湖花街道」は令和の時代も多くの旅人を夢の世界へと誘い、今を生きる活力を与え続けてくれることでしょう。

moa読者に向けてのメッセージ

今後の目標は「みんな(従業員)のおかあさんになること!」と笑顔で話す佐藤さんに、最後にmoa読者に向けたメッセージをお聞きしました。

「私のモットーである『明るく・楽しく・優しく・親切に』という気持ちを大事に生きていってほしい。自分を責めたり疑ったりせず、周りの家族や仲間と悩みをシェアして、一人で抱え込まないでほしい。しんどい時にはこの4ワードを思い出し、『同じ「生きる」であれば明るく生きよう、楽しく、優しく、親切に一日を過ごし人と接しよう』そんなふうに、日々を大切に生きていってもらえたらいいなと思います。」

旅館という大船の舵を担い、様々な困難を乗り越え今に至った佐藤さんだからこそ深みが出る素敵な言葉ですね!

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りーしゅんライター

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