浴衣の歴史
浴衣の始まりは平安時代。湯帷子(ゆかたびら)と呼ばれるものを入浴時に身にまとい、入浴後の汗取りに用いていました。
当時のお風呂は蒸し風呂であった為、火傷をしないように、また、複数の人と入浴を共にしていた為、裸を隠すことが目的であったと考えられています。のちに、湯帷子を省略して「浴衣」と呼ばれるようになりました。
江戸時代では庶民の間でくつろぎ着(現代のジャージ)として着用され、当時の役者や相撲力士が楽屋で着る楽屋浴衣というものがあり、屋号や紋にちなんだ大柄の文様を染め抜いたものが用いられていました。
和服を着る時は、なぜ左が上?
諸説ある中の1つに、奈良時代・養老三年に発令された「衣服令(えぶくりょう)」という法令の「初令天下百姓右襟」という一文が起源とされています。この初令から右前(右の衿が手前)で衣服を着る事が定着していったようです。
また、中国の思想などから、左は右より上位であるとされていたことより、気位の高い人にだけ左前(左の衿が手前)が許され、民は右前に着用したというものがあり、聖徳太子が日本で普及させたという説もあります。
浴衣の柄
浴衣は夏の暑い日に着るため、柄は涼を感じるものがよく用いられています。
寒い冬にも美しく咲く「椿」。この花は寒い冬であっても力強く、美しく咲くことで有名です。そういった「寒い冬に咲く花」を、夏の暑い日に着る浴衣の柄にすることで、視覚的に涼しさを感じられるようにという、古き良き日本人の知恵が込められています。
WEB&フリーペーパー おでかけmoa編集部